プログラム可能な世界というチャンス

まだテスト段階のドラフト原稿です。

全てがプログラミング可能だなんていう世界観はとても魅力的ですが、世界を解読してして制御するための先端技術も、真の科学者にから見れば「雨乞(ご)い」ほどに原始的に映っているということをまず認識しておきましょう。私たちがやっと知り始めた「計算機」というツールを間違って使わないよう、計算機がもたらすレンズがもつべき仮定とその潜在的な落とし穴をあらかじめ整理しておかなければなりません。

センサー、通信と計算処理パワーの分散は、日々の事柄や環境の隅々まで、データの洪水から人々を開放し予見できなかったパターンを知ったりシステム設計をうまくやるチャンスをもたらしてくれるようになりました。「全てがプログラム可能な」時代は、新たな発想のチャンスを与えてくれるのです。

■世界を観る新たなレンズ

絶え間ないデータストリームはこれまでにない範囲や解像度で複雑な「世界」システムやその操縦法を教えてくれます。私たちは文字通り新しい目をもったも同然なのです。

■全てをモデル化する

私たちは複雑なシステムや現象をモデル化する高度なツールや手法を手にし、複雑さをよりよく解釈できるようになるのです。

■望む結果のためにプログラムする

従来なら解決困難な問題に対する解も、計算機で得ることができます。システムを調整し望む結果を得たり、パワフルなシミュレーションによってボトムアップで新しいシステムを構築したりすることができます。

■測定について再考する

多重現象の複雑さを知らせる新しいデータによって、私たちは従来単純過ぎた測定方法について再考し、新たな測定指標を作り出すことができます。

仮定

「私たちの身の回りの世界をプログラムする」というメタファーは、以下の三つの仮定に基づいています。

  1. 物質的、非物質的な現象全てがシステム内部でデータとして記述され、本来的にシステム全体が計算可能であること
  2. データにはそれをもたらす構造が含まれており、そのデータは解釈可能であること
  3. もしデータが解釈可能であれば、システムが計算的に処理し、望まれる状態を作り出せること

このような仮定は、物理システム上では多くの場合真でしょうが、人工知能の先駆者であるNoel Sharkeyは言います、「考え(心)や脳が計算可能であるということは、根も葉もない仮定であり、決して真ではない」と。

落とし穴

計算可能なモデルは潜在的に現実世界の歪んだ像を与えるに過ぎないことを意識しておかなければいけません。プログラミング可能な世界で新しいツールを使うということは、守らなければならないルールを増やすのです。

■モデルは現実ではない

データのよき提供があって始めて計算モデルはある程度よく機能します。「地図は領土でない」と同様に、最良のモデルであっても現実の近似に過ぎず、決して現実そのものではないことをよく理解しておかなければいけません。

■期待はずれの結果を期待しなければいけない

多くのサブシステムのマイクロプログラミングを寄せ集めてマクロレベルを構築したとき、結果が誤りとなることも多いでしょう。どんなに私たちが多様な結果をコントロールできても、現実世界はそれをはるかにしのぐほど複雑であり、完全なコントロールを実現する目標は決して成就されないでしょう。

■「プログラマー」が新たな支配階級にならぬよう用心せよ

「プログラミング可能な世界」を民主的に期待するにあたって、実装する者(プログラマー)にコントロールが任されるような状況を避けなければいけない。プログラマーが自分の住む世界に支配されてしまえば、コードは専制的な支配階級になってしまう。

■本能的な勘を捨てるな

私たちのモデルやシミュレーションを信頼しないで意思決定できるでしょうか。データがなければ私たちは行動できないのでしょうか。アルゴリズムや新たなひらめきがないからといって、自分自身も麻痺してしまうようになってはいけない。